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旧型電車

電化時の1949年から愛称導入前までに活躍した雑多な形式を、ここでは「旧型電車」と総称してまとめました。全ての車両が引退済みです。
車両の塗装は、深い緑色からピンク色を経て朱色になったもよう。現在とは異なり、すべての車両が同じカラーです。
一見すると全て同じような見た目をしていますが、細部がそれぞれ異なっています。ここに挙げた紅い車両たちの主な共通点は以下の通りです。
各車両の主な共通点
・他社からの譲渡車
    (流山検が新製配置ではない)
・片開き扉
・前面は3枚窓
・非冷房車(クーラーはなし)
・モハのパンタグラフは1基
・ライトは前面中央屋根上
便宜上、形式別の一覧としました。
登場順には並んでいません。


「電車」として最初に導入されたグループです。上3両は1949年の電化完成当初から活躍した車両。すべて南武鉄道(現在の南武線、国有化される前の会社)から国鉄を経て流鉄へ来ています。
登場から5年経ったのち、新たに1両が仲間入りしました。

モハ101
最初の「電車」①
1949年
~1978年
流山→
 
1928年 汽車製造製

モハ102
最初の「電車」②
1949年
~1979年
流山→
 
1931年 汽車製造製

モハ103
最初の「電車」③
1949年
~1979年
流山→
 
1926年 汽車製造製

モハ105
1955年
~1979年
流山→
 
1931年 汽車製造製



モハ1000形は2両です。書類上この2両は同一形式とされていますが、車両の大きさ・モーターの出力・パンタグラフの位置など異なる部分がかなり多くなっています。
運行開始時期に至っては12年もの差が……。なぜ同じ形式になった?と疑問に思うくらいです。

モハ1001
1963年
~1981年
流山→
 
1927年 日本車輌製

モハ1002
1975年
~1988年
流山→
 
1927年 川崎造船製



「旧型電車」グループの中では唯一の18メートル車と最も大きい車両でした。1両しかありません。旅客運用から退いた晩年は流山駅構内・検車区の入換用車両として使用されていたようです。
西武所沢製となっていますが、所沢で整備がされたというだけで、車体本体はどこかまた別のところから来たとか……え、京急??

モハ1101
最後まで残った旧型電車
1968年
~1994年
流山→
 
1968年 西武所沢車両工場製



走行用のモーターはついていない付随車です。運転台はありますが、この形式単独では走行できません。上記のモハと連結し、2両編成で運転されました。

クハ51
1960年
~1978年
1926年
 川崎造船製

クハ52
1963年
~1988年
1927年
 日本車輌製

クハ53
1969年
~1981年
1928年
 川崎造船製

クハ55
1975年
~1981年
1928年
 川崎車輛製




おまけです。これは電車ではなく、ガソリンで動くガソリンカーです。製造は戦前で、晩年はエンジンを取り外し客車(サハ)として運行されていたもよう。
定員は40人、車体の長さは9.2mと小さい車両です。現在の流山線で活躍中の5000形は20mなので、その半分以下です。
現時点では、流鉄で最後の「新製車」です。これ以降現在に至るまでの車両はすべて中古車となっています。
キハ31が流山総合運動公園にて静態保存されています(表示はキハですが、床下等に機器はないため戦後晩年のサハ姿だと考えられます)。SLについては全国各地に保存車がありますが、戦前製造の旅客車両が保存されているというのは珍しい例ですね。

キハ31
晩年は サハ31 に
1933年
~1963年
汽車製造製

キハ32
晩年は サハ32 に
1934年
~1963年
汽車製造製

これ以前に活躍していた
車両については割愛いたします。



5000形
2000・3000形
1200・1300形
旧型電車
5000形 2000・3000形 1200・1300形 旧型電車