電化時の1949年から愛称導入前までに活躍した雑多な形式を、ここでは「旧型電車」と総称してまとめました。全ての車両が引退済みです。
車両の塗装は、深い緑色からピンク色を経て朱色になったもよう。現在とは異なり、すべての車両が同じカラーです。
一見すると全て同じような見た目をしていますが、細部がそれぞれ異なっています。ここに挙げた紅い車両たちの主な共通点は以下の通りです。 |
各車両の主な共通点
・他社からの譲渡車 (流山検が新製配置ではない) ・片開き扉 ・前面は3枚窓 ・非冷房車(クーラーはなし) ・モハのパンタグラフは1基 ・ライトは前面中央屋根上 |
「電車」として最初に導入されたグループです。上3両は1949年の電化完成当初から活躍した車両。すべて南武鉄道(現在の南武線、国有化される前の会社)から国鉄を経て流鉄へ来ています。
登場から5年経ったのち、新たに1両が仲間入りしました。
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モハ1000形は2両です。書類上この2両は同一形式とされていますが、車両の大きさ・モーターの出力・パンタグラフの位置など異なる部分がかなり多くなっています。
運行開始時期に至っては12年もの差が……。なぜ同じ形式になった?と疑問に思うくらいです。
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「旧型電車」グループの中では唯一の18メートル車と最も大きい車両でした。1両しかありません。旅客運用から退いた晩年は流山駅構内・検車区の入換用車両として使用されていたようです。
西武所沢製となっていますが、所沢で整備がされたというだけで、車体本体はどこかまた別のところから来たとか……え、京急??
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走行用のモーターはついていない付随車です。運転台はありますが、この形式単独では走行できません。上記のモハと連結し、2両編成で運転されました。
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おまけです。これは電車ではなく、ガソリンで動くガソリンカーです。製造は戦前で、晩年はエンジンを取り外し客車(サハ)として運行されていたもよう。
定員は40人、車体の長さは9.2mと小さい車両です。現在の流山線で活躍中の5000形は20mなので、その半分以下です。
現時点では、流鉄で最後の「新製車」です。これ以降現在に至るまでの車両はすべて中古車となっています。
キハ31が流山総合運動公園にて静態保存されています(表示はキハですが、床下等に機器はないため戦後晩年のサハ姿だと考えられます)。SLについては全国各地に保存車がありますが、戦前製造の旅客車両が保存されているというのは珍しい例ですね。
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